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by musasinokosugi
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4月4日。

 ソフトバンクの孫社長の100億円に驚いていたら今度はジャッキー・チェンの全財産260億円である。「日本の金持ちはどうした!?」って、あなたそれは「私有財産の自由」というものがあるのであって、箪笥預金でも床下の金の延べ棒でも(←いやこれは脱税か?)ご勝手にということだろう。

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 2チャンネルに桑田圭祐のTsunamiを呪詛するコメントがあったことをふと思い出してヤフーで「桑田 歌詞一覧」を検索にかけたが、全1-4までTsunamiは見つからなかった。次に「つなみ 歌詞」で検索したらすぐメロディ付で見つかった。 ↓

TSUNAMI/サザンオールスターズ

風に戸惑う弱気な僕 通りすがるあの日の幻影
本当は見た目以上 涙もろい過去がある

止めど流る清か水よ 消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに 好きな女性に 出会う夏は二度とない

人は誰も愛求めて闇に彷徨う運命
そして風まかせ Oh,My destiny 涙枯れるまで

見つめ合うと素直にお喋り出来ない 
津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo
めぐり逢えた瞬間から魔法が解けない
鏡のような夢の中で 思い出はいつの日も雨

夢が終わり目醒める時 深い闇に夜明けが来る
本当は見た目以上 打たれ強い僕がいる

泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ
きっと世は情け Oh,sweetmemory 旅立ちを胸に

人は涙見せずに大人になれない 
ガラスのような恋だとは I know...気付いてる Hoo
身も心も愛しい女性しか見えない
張り裂けそうな胸の奥で 悲しみに耐えるのは何故?

見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo
めぐり逢えた瞬間から死ぬまで好きと言って
鏡のような夢の中で 微笑をくれたのは誰?

好きなのに泣いたのは何故? 思い出はいつの日も...雨

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 これはかつて相当流行った唄なのでサザンとはあまり縁のない私もよく覚えている。作中「津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo」というフレーズがサワリの部分で三回出て来るが、WTsunamiにはこうある。 ↓

# また歌詞の「津波のような侘(わび)しさに」というのは津波そのものが侘しいのではなく、「津波のように『押し寄せてくる』侘しさに」を省略したもので、侘しさが津波のように押し寄せてきた状態であるとする解釈がある。
# またこのヒット曲に際して『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に出演していた時に桑田は「いい曲とは何気なく思い浮かぶものだ」と司会の浜田らの前で率直な感想を述べている。その折、同じくゲストとして呼ばれていた桜井和寿(Mr.Children)がその発言を聴いて深く頷くジェスチャーを見せている。

 この唄は現在放送禁止になっているようである。

 詩人という人種は一度或る言葉なりフレーズなりに憑依されてしまうと、それを使わないではいられなくなるのである。
 桑田は「つなみ」がそのまま「Tsunami」として英語化したことを知った時点でこの言葉にとりつかれてしまったものと判断する。

津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo

というフレーズも同様、本人としては最重要のフレーズだったのだろう。
 津波に侘しいも陽気もないのだから、これは「侘しさが津波のように何度も何度も押し寄せてくる」を言い換えただけで、元々が軽いノリの恋の歌なのであって「津波被害の深刻さ」などとは無縁のバラッドなのである。
 桑田の唄を支持した人たちもそれ以外の我々も、今回の津波被害の前に他国の被害の惨状はビデオ等で見知っていた筈であり、そういうものを見せられても(はっきり言ってしまえば)「馬鹿だなあ、なんで早く逃げなかったんだ!?」くらいにしか受け止めていなかったのである。

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cf.日本赤十字社公式HP

cf.W日本赤十字社

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灯油不足で火葬は進まず、宮城の土葬千体超す
読売新聞 4月4日(月)3時5分配信

 犠牲者が増え続ける中、遺体の埋葬は追いついていないのが現状だ。

 施設の損壊や灯油不足などで火葬は進まず、読売新聞の3日現在の集計では、仮埋葬として宮城県内の3市3町で1000人以上の遺体が土葬された。

 宮城県石巻市の場合、1日に火葬できる遺体は約20人分なため、火葬は病死者に限り、震災犠牲者の遺族には土葬を勧めている。3月23日以降約500体を土葬。このほか東松島市では275人、山元町では110人、亘理町で104人、気仙沼市で56人、女川町で約50人が土葬された。南三陸町では8日から、身元不明者の土葬を始める。岩手県でも大槌町が5日から約260体の土葬を始める予定だ。

 対象には身元不明者も含まれるが、DNAや歯型などのデータは警察が保管しており、遺族の照会があれば身元は確認できるという。

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海中深くでも放射性物質を検出
読売新聞 4月4日(月)3時36分配信

 福島第一原発事故の影響を継続して調査している文部科学省は3日、福島県内の大気中の放射線量などの測定結果を公表した。

 海水の調査では、同原発を中心とした太平洋岸沖合約30キロ・メートルの5地点で今月1日に採取した海水の表層から、1リットルあたり放射性ヨウ素131を最大12ベクレル、同セシウム137を15・7ベクレル検出。

 水深113~160メートルからの採取でも、ヨウ素131を最大4・8ベクレル、セシウム137は11・4ベクレル検出した。ただ、いずれも原発区域外での水中の濃度限度の基準(1リットルあたりヨウ素131は40ベクレル、セシウム137は同90ベクレル)を下回っていた。

 原子力安全委員会は3日、放射性物質は拡散して魚に取り込まれるまでには相当薄まるとしつつ、水深の深い所でも検出したことから「注視していく必要がある」とした。

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福島第1原発 東電、ベント着手遅れ 首相「おれが話す」
毎日新聞 4月4日(月)4時0分配信

 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。

「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。

 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。

 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

 ◆        ◆

 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

 一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。

 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

 官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。

 「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

 翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。

 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。

 事故を防ぐための備えは考えられていた。しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。班目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と言ったうえで、こう述べた。「その備えが足りなかった」

      ◆

 東日本大震災から人も国も再び立ち上がるには何が必要なのか。教訓を得るというには重すぎる出来事を後世にどう伝えればいいのか。あらゆる現場を見つめ直し、長い時間をかけて考え続けなければならない。随時掲載する「検証 大震災」の初回は、かつてない原発の大事故に政府や東電が当初どう対処したのかを報告する。【震災検証取材班】


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最終更新:4月4日(月)8時46分毎日新聞

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by musasinokosugi | 2011-04-08 07:39 | 時事