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by musasinokosugi
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続いてはノーベル文学賞の話題♪

 今年のノーベル文学賞の受賞者はベラルーシ共和国の女流作家に決まった。彼女はソ連時代の共和国の状態やロシアになってからのチェルノブイリ事故のことを題材に書く小説家ということで、言ってみれば反ソ(反露)的社会派作家らしい。

 これまでに日本人でノーベル文学賞を受賞したのは川端康成と大江健三郎の二人だけであるが、毎年候補に上がっていながら今回も選に漏れた村上春樹については自称ハルキスト達や村上春樹コーナーを設けた書店経営者達は非常に残念がっていたと、そういうニュースが流された。
ハルキスト達は文学賞が発表される前から集まって《祝賀会》の準備をしていたが、受賞を逃したことで自棄酒の残念会となった。笑って「来年があるさ♪」と言うだけならまだしも、街頭インタビュー・取材では泣き出すファンの顔も捉えていた。

 故・吉本隆明は晩年「現代日本文学を読み解くには村上春樹と村上龍の両村上を読めば足りる」との極論を展開していた。吉本の分析に拠れば春樹が《自己表出》、龍が《指示表出》の代表である。(⇦この吉本要語に関しては《言語にとって美とは何か》を参照されたい。)

 私は自慢ではないが、ベラルーシの女流作家の作品も村上春樹の作品も一度も読んだことが無い。私が小説を読んだのは若い頃だけの話だから、川端康成や大江健三郎の初期の作品は読んだが、村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』などはパラパラと見た程度、ましてや村上春樹作品に至っては本屋で立ち読みしただけである。その時の感想?はというと「何だこれ、ワープロ文書じゃないか」という失望感に近いものだった。

 テレビではある文芸評論家が「村上春樹作品は《自意識》の追求と表明であり、だからこそ世界五十ヶ国の言語に翻訳され、それこそ世界中の人々に支持されているのだが、その代償として《地域性》を失い謂わば《無国籍》の小説になっている」のだと解説していた。
 ハルキスト達も村上春樹作品の自我と自分自身の自我とを重ね合わせて読み浸っているのだろうか。彼らは村上春樹のノーベル賞が欲しくてたまらないのだろうか。《スウェーデン・アカデミーの権威付け》がないと春樹作品の価値が世界的に認定されていないことになるのか。私にはそんなハルキスト達が《付和雷同型のミーハーの集まり》に見えて来る。村上春樹作品が好きなら好きで構わない。が、屋根裏部屋で独り閉じ籠もって耽溺していたのではファンの自己表出にならないのか。群れるのがファンの証なのか。春樹自身がノーベル文学賞を貰う貰わないとは無関係に自分は書くのだと言っている。賞の絶対的権威付けなどしていないのである。

 が、村上春樹はテレビで自分が《小説家》であることを前提に「小説家は・・云々」と何やらノタマッテいた。私は自分を《家》付けで称する人間は思い上がっているように思えて余り好きではない。《自称政治家》がいい例だ。自公民その他の自称政治家達は政治を生業としている単なる👻《政治屋》に過ぎない。私の理解では《・・・家》というのは他者を敬意を込めて論じるときの呼称だ。👻😱🗿👙👽🚀🐳。

by musasinokosugi | 2015-10-09 01:42 | 時事