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by musasinokosugi
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百年目。

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 ちょっと考えればわかることだが、今連日メディアで気安く使われている流行りのフレーズ=「百年に一度の経済危機」という言葉は、単に「稀なる事態」を強調する比喩としては不正確で無批判であてずっぽうでとんちんかんな述語である。こんなところからもメディアのいい加減なアバウトさが浮彫りになって来る。
 今から「百年前」と言ったら第一次世界大戦前夜の二十世紀初頭であるから、世界の30ヶ国が参加した「Great War」(←第二次大戦が勃発する以前はこう呼ばれた)の前段階として当然世界的経済危機はあったろうが、では間に挟まれた第二次世界大戦の前後には何の危機も混乱もなかったのかと言えば、まったくそんなことはあり得ないわけで、今回の世界的不況を形容するにはむしろ「前代未聞の」とか「未曾有の」とか「人類史上初めての」とかいった言葉の方が遥かに理に適っているのである。

 それで「百年に一度」と言うからにはもう百年遡った1800年頃はどうだったかと言えば、日本では江戸時代中後期、ヨーロッパでは「大航海時代」(14c-17c)の後を受けたイギリス「産業革命」の真っ只中にあたり、これは「経済危機」どころか逆に「経済大膨張」の端緒の時代である。「どこが百年に一度か?」というわけである。こういう「蒙昧主義」そのもののいい加減な「述語」を使って、いったいどんなまともな議論が出来るか私には甚だ疑問である。・・というわけで、今日はその辺を少し考えてみる。ぁそ。

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続・「100年に一度の危機」って?(土屋彰久)

 ↑ さて今回の世界的経済危機の引き金となったアメリカのいわゆる「サブプライム・ローン」だが、ローンというからには紛う事なき「借金」そのものなわけである。だが、それがかき集められいつの間にか立派な「金融商品」に化けて大々的に世界経済を席捲してしまうに至ったカラクリがここへ行くと(かなりまどろっしくて不細工な記述ではあるが)懇切丁寧に説明されている。

 これを読んでもまださっぱり事の本質がわからないという人がいたとしても、私はむしろその人はまともで正常な価値観を持っている人だと思う。異常なのは『虚で虚を売買する』ような現在の経済体制そのものなのである。第一次産業に従事する人がますます貧困化し、一方モノさえも動かすことなくデータを瞬時に移し替えるだけの人間が巨万の富を得るような経済体制がまともである筈がない。個々の生身の人間を『設備』の一部=手段としてしか考えない『派遣切り』など、いったい世の中どうなっているのか、人間社会の諸制度の究極たる『貨幣・神』がその足下に全ての人類をひれ伏させている構図である。
 これを『金融資本主義の成れの果て』と断ずるか否かは別としても、「とうとう我が貨幣経済も来るべきところ迄来てしまったなあ」という一種感慨めいたため息が出てしまうのを私は禁じ得ないのである。
 ドイツでカール・マルクスの『資本論』が再評価され、日本では小林多喜二の『蟹工船』が再読されているというのも、どこかで通底している社会現象であると思われる。

 それで面白いのは『小泉はこのサブ・プライムに代表されるような市場経済のカラクリを理解していたとは到底思われないが、竹中は全てわかった上でここへ突き進んだ張本人である』とこの筆者が厳しく竹中を断罪している点である。なるほど、竹中は怪僧ラスプーチンまがいの極悪キャラと言っていいかも知れない。

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 そこでここから幾つかランダムに引用してみると:

 ◆借金は生産活動?

 一般消費者の生活実感に根ざして言えば、借金なんて出費、マイナス生産以外の何物でもないですよね。ところが経済の世界だと、<金融商品を作って売った>ということで、生産にカウントされてしまうんです。消費者金融の20%金利じゃ、バクチでイカサマでもやらない限り、儲けを出して返すのは無理です。しかし、大銀行なんて、0.1%で日銀からカネを借りてこれるので、これを3%でノンバンクにでも貸し出すだけでサヤが取れます、これ、計算上は銀行が生産したサービスとして皿に載ります。このノンバンクが、こんどはヘッジファンドに出資します。ヘッジファンドが世界の金融市場や先物市場で稼ぎまくって10%の利回りを出して、5%の手数料をもらうと、これはヘッジファンドの儲けになります。この場合、さしあたっての最終生産品は、ヘッジファンドの生み出した10%の利回りで、それを関係者が分け合うという計算になります。そしてこのヘッジファンドの購入した債券の中に、証券化された消費者ローンが含まれていれば、その分の最終生産者は、消費者金融からカネを借りることによって<自分に対する貸金債権という利回り20%の金融商品>を作って売ったその消費者となります。おかしーだろ、借金しただけで生産かよ?おかしーですよね。こんな空虚な<生産>をモノと一緒の皿に積み上げたのがサブプライムローンなんです。これ、今回の経済危機の主役です。で、もう片方の皿に積み上げられたのが日本の超低金利マネー、脇役です。そして<まちがった天秤>が、その舞台となりました。

 ヘッジファンドとは、少ない投資家から大口の資金を集めて、ハイリスク・ハイリターンの金融商品を運用する投機的性格の強い投資信託、または機関投資家のことをさします。「ヘッジ」とは、防御策を講ずること。

 ◆投機マネーの膨張と金主ニッポン

今回の経済危機の根本原因を辿っていくと、結局のところ、中央銀行・変動相場制の構造、すなわち<まちがった天秤>そのものにあったと見るべきで、いつかは来る危機だったと見るべきでしょう。そして、それはいずれにしろ避けられなかったと思います。なぜなら、破綻を避けるためには、その問題点を指摘する声に早期に耳を傾けて然るべき対策を採る必要があるのですが、先進各国において国策に影響力を持つ人々は、圧倒的大多数がこの経済システムの上で成功者となった人々であり、自らの成功の基盤となっているシステムを信奉こそすれ、およそ疑うことなど考えられないためです。だから今でも、この種の成功者達が、テレビその他のメディアで様々な側面からこのシステムを擁護する論陣を張っているわけです。破綻が明らかになってもこれですから、破綻以前では推して知るべきでしょう。しかし、無軌道な日本の金融政策が、このシステムの破綻を早めたというのも事実です。

これは、小泉&竹中からの世界への贈り物ですね。小泉政権は、公共投資削減、規制緩和、福祉削減、高所得者減税といった、いわゆるネオ・リベ政策を強硬に推進しましたが、こうした低・中所得層に負担を集中させる政策がもたらす景気減退効果を相殺するために、ゼロ金利、量的緩和政策といった金融緩和政策により、資金だけジャブジャブと市場に注ぎ込みました。このカネは、ゼロ金利で日銀から出ていく時には、<健全な投資マネー>の顔をして出ていくわけですが、このような政策は内需を冷え込ませるだけなので、国内に有望な投資先などなく、結局、金利差益を求めてアメリカにどんどん流れていきました。こうしてアメリカの資本市場に入ってきた日本発のゼロ金利マネーは、「資金さえあれば何倍にでもしてみせるぜっ!」てな感じのヘッジファンドに流れて行き、<不健全な投機マネー>にあっという間に変質してしまいました。

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cf.第一次世界大戦
 第一次大戦(since 2000).←ここはなかなか読ませる記事に充ちていて、大戦前のパリ『ムーランルージュ』のポスターや記述などは直ちに例の映画を連想させてとても楽しい♪

ムーラン・ルージュ(2001) - goo 映画ムーラン・ルージュ(2001) - goo 映画
cf.第二次世界大戦

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*そこであくまで「百年」に拘って、最後に「百年目」という古典落語を取り上げる。(『百年目』(←このあらすじはよく出来ている)を私は故六代目円生で聞いたが、こちらは上方の重鎮・三代目桂米朝の噺をテキストにしているようである。

 で、どういう噺か簡単に言うと : ↓

 堅物で知られているある大店(おおだな)の番頭だが、実は裏でこっそり遊んでいた。芸者をあげて豪勢な舟遊び(花見)をしているところを運悪く大旦那と鉢合わせし動転して(毎日顔を合わせている主人に対し)「これはお久しゅうございます」などと珍妙な挨拶をする。
 番頭は番頭で店をしくじったかと思い、旦那は旦那で店の帳簿に何か大きな穴でも開いていはしないかと疑って、双方ともに眠られぬ夜を過ごす。
 翌日旦那に呼ばれた番頭は、帳簿を調べて疑念を払拭した大旦那に「自分の甲斐性で遊んでいるのだから何ら問題はないが・・」と一くさり説諭されるくだりが山場の聞かせどころで、二人は以前にも増して信頼を深め合うがその後で「しかし、まああんさんけったいな挨拶しよりましたなあ」と云われて、番頭の返す言葉が「ここが百年目と思いました」で下げとなる。
 登場人物も多く、よく出来た人情噺である。

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『ここで会ったが百年目』というのは講談などで使われる決まり文句。仇討ちが仇を見つけたときに発する定型句で「観念しろ」という意味である。
(「ここで会ったが百年目」の後には「盲亀の浮木、優曇華(ウドンゲ)の華」と続くらしい。「盲亀の浮木」は目の不自由な亀が海を泳いでいる内に浮いている木切れの節穴から顔を出してしまうこと。「優曇華の華」は、仏典に出て来る伝説上の花で三千年に一度しか咲かない稀有の花である。)
 番頭さんは隠れた遊びを見つかって「万事休す」と観念したというわけ。w

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by musasinokosugi | 2009-03-28 16:46 | 時事