時事、写真、身の回りの事、etc.


by musasinokosugi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ:昔話( 14 )

ライブドアブログ再開♪

怪我の功名か、十年以上書き込みをしていなかったライブドアブログにさっき新たに投稿した。昔の記事は《Osaka Conection》と題されてミニアニメが幾つもアップされていた。 出て来るのは小さな画像だけだが、それをクリックしたらミニアニメが始まった。ここである。⇩⇩

名前は:ヤースケ伝ダイジェスト版teatime
http://blog.livedoor.jp/miwatya041124/

 結構面白かったので、お暇な人は行ってみておくれやす♪????????????????。

⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨



 ⇧ホームセンターコーナンの喫煙所からの1枚である。禁煙席は他にあるが☀陽射しが強過ぎてここ??へ来た。この写真を撮っていたら先客のお爺さんが「ソレはタブレットですか?」と話し掛けて来たので少し説明してやった♪

 彼は六年前からガラケー専門の人で、しかもインターネットは最初から出来ないと諦めているから全然しないと言うので、私は一旦しまったタブレットを取り出して一通りの説明をした。彼は中でも地図情報を気に入っていた。他の機能はガラケーにもあるがやらないのである。

「勿体ないからやりなさい!」と七歳も年長の彼に忠告して別れた。☀????????????。


[PR]
by musasinokosugi | 2015-10-04 17:09 | 昔話

犬??には縁が無かった。

 私は犬派であるが猫が嫌いということではなく、飼ったことが無いのに好きと言うのもどうかと思うだけである。
 犬は全部で四回飼った。全て子供の頃の話で私が自力で飼育したわけではなく、厳密に言えば飼ったのは私ではなく私の父親である。

1.最初に飼ったのは雑種犬でポインターの血統との事だったが、実際には白毛に黒ブチ模様の入った普通の雑種犬だった。母方の親戚の家から譲り受けた雄犬で名前は姉が《ラッキー》と付けた。理由は知らない。彼はいきなり親から引き離され見知らぬ??家の土間に閉じ込められて不安だったのだろう、初めの内は怯えてただただ体を小刻みに震わせる許りだった。それから数日経過して、私達に悪意が無いことが分かったのか、彼は私達に心を許しなついてくれた。私は小学校低学年だったが放課後帰宅するのが待ち遠しく、帰宅してからは辺りが暗くなる迄ラッキーと行動を共にして遊んだ。

 ラッキーの運命は(名前負けしたのか)不意にアンラッキーな終末を迎えることになった。父が得意先から血統書付きのシェパードの子犬を貰う約束を、私達子供には無断で取り決めてしまったのだ。今思えば我々三人の姉弟がその時猛反対していれば或いはラッキーは無事だったかも知れないのだが、私は「二匹は飼えない」と言う父の言葉に従順に従って、丘の中腹にあった野犬収容施設へ連れて行かれゆくゆくは処分されてしまう彼を、ただ泣きながら見送っただけだった。
 施設の大きなオリに入れられたラッキーは尻尾を股下に巻き込み、私の??家に来たとき同様声も無く唯々身体を小刻みに震わせる許りだった。親戚の人からは、我が一家の非情な仕打ちを非難されたが、私も随分罪作りな事をしたものだと今でも思っている。
 「収容された犬はライオンの餌になるぞ!」と友人たちからは嚇されたものだが、のちに「そういうケースもないとは言えないが、大抵の場合何らかの動物実験のモルモットとされて、寿命が来た暁には丁重に葬られる」のだと聴いて多少は気が楽になった。??????†??????????????。

2.入れ替えで我が家の一員としてやって来たシェパードの子犬には《デッキー》という名前が既に付いていたから私達もそれを踏襲した。この子も私達一家にはよくなついてくれて、今記憶に残っているエピソードとしては、家族で出掛けた郊外へのピクニックには彼も参加した。写真も残っていたが今は失われて手元にはない。私は小学校中学年だったろうか、繋ぎのGパン姿で彼を抱き抱えて写真に収まっている。成長したデッキーは相当大きくなっていた。それが一つの要因となってある問題をおこし、それで彼は我が家を去った。

 当時はまだ《犬の放し飼い》は禁止されていなかったから、デッキーが??鎖に繫がれることは夜間を除けば殆ど無かった。賢い犬だったから近所の人たちに襲いかかることは無かったが、それがあるとき、自転車で行商に来ていた豆腐屋のオジサンに吠えかかり攻撃を加えて軽い怪我を負わせてしまったことがあった。
 彼にトレードの話が来たのはそんなときだ。この話を聴いた郊外に自宅を新築したばかりの青年が、同じく飼い始めたばかりの幼い柴犬との交換を持ち掛けて来たのである。父も最初迷っていたようだが、結局はこの交換話に応じた。「もうこれ以上の騒動は御免だ」と考えたのだろうと想う。私達子供がどういう心境になったのかは覚えていない。私自身嬉しくはなかったと思うが深い記憶は残っていないから、左程の抵抗感もなくこの交換に応じたのだろう。彼は柴犬の子供では番犬にならないと考えたのである。
 そして今思い出したのだが、交換相手はウチの従業員のお嫁さんの実の弟で、我々にしてみれば親戚の家に預けるような気持だったと思う。

3.トレードで我が家に来た犬には、これも《たろう》という名前が既に付けられていて、我が家でもその名前を引き継いだ。彼と遊んだ記憶は余り残っていないが、彼は不幸な最期を遂げたのである。彼はテンパという不治の病に倒れ、呼ばれた獣医の判断で即座に殺処分された。
 今はジステンパーや狂犬病予防の混合ワクチンがどの犬にも接種が義務付けられているが、当時はそんな特効薬は無かったから『罹患』したらもう助からなかったのである。

4.ずっと時間が経過したのち最後に我が家に来た犬は《プリティ》という名前で、名付け親は姉だったと思う。白毛の毛むくじゃらの愛くるしい子犬だったが、『犬小屋が出来るまでは』と真っ暗な物置小屋に間に合わせに大型犬用の首輪を掛けて収容していたら、彼はいわれのない処罰を受けていると錯覚したのか、自力で首輪を外し物置小屋の地面を前足で掘って脱出し、そのまま何処かの酔っぱらいに連れて行かれてしまった。私が学校から帰った時はもういなかった。

 私は小動物とは縁のない《疫病神》のような人間で、成人してからカナリアを飼ったことがあったが、ある日突然内臓が体外に溶け出す病に罹って死んでしまった。




[PR]
by musasinokosugi | 2015-10-04 09:30 | 昔話
 「私ももういい歳だから昔を懐かしんでも今更やいのやいの言われることもないだろう」というわけで少し前のブログ記事の話をすると、私は今以上に彼方此方ブログを貼っていた。自分の所に限らず、ネットで知り合った友人達のブログにもリンクを貼っていた。自宅のPCが壊れてからはそれも不可能になったが、今ではそんな昔が懐かしくて仕方ない。十年昔の習慣だったとは言え、今では絵を描くことはおろか、あちこちに連絡することも出来なくなっている。私は体だけではなく頭の中も老化が進んでいるのである。

 ☆昔作ってそのままになっているブログがあったので、今それを御紹介しておきたい。アッソ。????????????????????。それは・・・

 ブログ名:ヤースケ伝大本営発表
 http://happytown.orahoo.com/miwatya


である。ここへ行くと昔のリンク先が沢山あるので時間のある人は行ってみて欲しいが内容は保証の限りではありません。あそ。??????????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-09-26 17:12 | 昔話

日本の戦後史散見。

 大相撲九月場所七日目を少し見た。元より″相撲″は日本の国技だが、今いる横綱三人は全てモンゴル人で、日本人横綱はこの十年誕生していないのである。
″ガイジン力士″は続々誕生しているがその全てが最高峰にまで登り詰める訳ではなく、幕内三役から横綱まではモンゴル出身者が常時過半数を占めている。我々もモンゴル現地の所謂″モンゴル相撲″を観る機会はあって、「彼らが何故日本の国技である大相撲が世界一(⇦と言っていいだろう)強いのか?」その秘密の一端でもと探るわけであるが、彼らが言うところに拠れば幼少期を草原で育つ彼らは格別に格闘技の訓練を受ける訳ではなく、幼い頃からの家事手伝いが自然と足腰の鍛錬に繋がっているとのことである。家畜の飼料を運んだり河の水を運んだりする日常生活があるのである。そんな彼らが遊びも兼ねて草原でモンゴル相撲をする。

 モンゴル相撲の力士たちは巨漢と言うよりは筋肉質のスマートなスポーツマンタイプが多く、彼等の掛け合う技は相撲よりは寧ろ柔道の技に近いような印象を私は受けた。彼らが如何にも相撲力士タイプの巨漢に成長するのは来日して相撲部屋に入門して以降の事なのである。彼らが日本の大相撲に転身する一番の理由は言うまでもなく経済的理由だろう。モンゴル相撲では祭りの際の余興程度の収入しか得られなくても、日本の大相撲なら(トップに登り詰めればだが)それ相応の名誉と地位と収入が得られる。それは朝青龍なり白鵬なりが身をもって証明したところである。ハワイ出身のジェーシー・高見山は大関・横綱迄は出世出来なかったが、モンゴル出身力士たちは既に四人迄もが横綱になった。次期横綱が有望視されている照の富士もモンゴル出身である。強いんだからしょうがない。いいも悪いもないのである。日本人は大関迄は出世するが、その先はここ十年来未踏なのだ。白鵬が師と仰ぐ故・大鵬親方は日本に帰化した樺太生まれのロシア人だった。

 「ニッポンジンは何が得意で不得意なのか?」といろいろ考えてみても、「これなら一番!」というものはそう多くはないように思う。「日本人は猿真似が得意だ♪」と以前書いたが、一番ではなく二番三番以下なら結構多い。物真似得意ならそうなる。「神風特攻隊(=自爆テロ?)」なら独創的だろうか。
 ところで柔道の創始者は嘉納治五郎であるから「柔道は(剣道も?)日本の国技かな?」と思って全柔連のサイトを覗いてみたが、そんなことは何処にも書いてなかったから、どうもそうではないらしい。が、「敗戦直後の11月には(武道全般を日本軍国主義の揺り籠とするGHQの指導があったのか)学校柔道・学校剣道が一時期禁止された」というマイナス面だけは書いてあった。
 ことほどさように、少しでも我が戦後史を遡れば軍事的政治的経済的にも文化的にも、我が国日本はアメリカの属国然とした経緯を辿って来ていることは明白なる史実である。安倍一族はその主役を演じている。??????????????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-09-19 21:31 | 昔話
 ダイソーのフルトヴェングラーを聴いた。CDで落語でも聞こうかと思ってまだ壊れていないかどうか確かめようと開けてみたらフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第五番『運命』等が入っていたからそのまま聴いたのである。十年くらい前¥105で買ったものだと思う。音源は古いが中身は濃かった。

 フルトヴェングラーと言えばクラッシック界の大御所であるが「ナチスに利用された」として戦後排斥され、代わってのして来たのがカラヤンである。私がクラッシックを集中的に聴いたのは高校3年生の頃で当時はカラヤンの最盛期だったから私も随分聞かされた。そのカラヤンも「商業主義に走っている」とか「速過ぎる」とか「メゾフォルテとメゾピアノしかない」とかさんざ言われて徐々に勢いを失していった。新しい世代は新しいヒーローを求めるのである。新しい世代が何時までも古い偶像を崇拝していたのでは新しい文化は生まれない。クラッシックでもポップスでもそれは同様だろう。

 しかしながら、最近私が屡々耳にするのは70年代のオールドポップスである。ビートルズのミスターポストマンとか(⇦オリジナルではないが)ビーチボーイズのDo you wanna dance?とかのリバイバル・リメイク版が有線で流されているのであるから、これは嬉しいと言うよりも私などは戸惑いの方が先に来る。「そんなに今の音源は貧困なのか?」と言えばそんなことはない。

 あのお騒がせ剽窃デザイナーにしても、次から次へと「あれも似てる」「これもそっくりだ」と指摘され続けているのであるから、もうこの際ありもしない《自分のオリジナリティ》を主張する事など一切放棄して「はい私は皆さんの仰る通り、マニアックなリメイク男です♪」と潔く告白すべきなのだが、ああいう性格だから死ぬまでシラを切るに違いない。身内で幾ら互助会のように持ち上げ合ってもいずれにせよあいつはもう終わっているだろうが・・。????????????????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-09-03 15:03 | 昔話
 話題のあのパクリ屋に限った話ではなく、元々模倣・盗作は日本の御家芸であると私は思う。「極東離れ小島の国民に何か独創的な仕事を期待する方が間違っている」と言い換えてもいい。
 元長州藩藩士中心に構成された明治新政府は西郷隆盛の『台湾取るべし』という《征台論》を切って捨てたが、それは『時期尚早』という意味で排斥しただけのことであって、極東進出を強める欧米列強に倣って「《植民地》を持たなければ日本もやがては植民地化される」という一種強迫観念は西郷同様根強く懐いていた。但し歴史的には《中国という好餌》があったから日本などは当然後回しされて然るべきだったとは言えるのである。《西欧の近代を模倣した近代化》こそが目先のよく利く我が日本人の為せる技だった。

 近代化に限らない。我々が国字として採用している《漢字》は中国文字の借用そのものである。韓国も力関係で漢字を使った時期はあったが、後に口蓋と舌の位置関係から独自に《ハングル文字》を発明し、今では漢字は寧ろ排斥している。《漢字文化》を恥も外聞も無くそっくり輸入し、漢字(即ち真仮名)から平仮名・片仮名を考案した日本とは大差がある。
 今中国本土では旧来の漢字文化は変質し簡体字が奨励され、旧字体が未だ採用されているのは台湾を残すのみとなった。日本も旧字体は原則使わない。故・司馬遼太郎は日中両国の旧字体廃用を「漢字文化が失われる」と惜しんでいた。

 というわけで、佐野某に限らず《模倣・盗作は日本古来の御家芸だ》と言いたい気分も湧いて来ようというものである。あっそ。??????????。

 ☆話は変わるが野田聖子が総裁選に出馬するらしい。これで推薦人がビビって逃げない限りは安倍ポンの無風再選は消滅した。ザマミロだ。w

[PR]
by musasinokosugi | 2015-09-02 03:00 | 昔話

お盆の帰省ラッシュ。

 お盆恒例の日本民族大移動である。人数だけで言えば我々が世界史で学ぶ『ゲルマン民族大移動』より遙かに多い人間がこの短期間に日本国内を移動するということである。都会から郷里に移動する『下り』は今日8/12がピークで、田舎から都会の職場に皆さんが戻る↩のは週末の15(土)16(日)がギリギリではあるがピークになるらしい。日本人はせかせかと忙しく立ち回るのがお好きな民族なのだろう。

 今日は500人以上が亡くなられたあの御巣鷹山の日航機墜落事故の30周年に当たるという報道も今朝はあった。乗客・搭乗員全員が亡くなられたわけではなく、ジャンボ機の後方座席におられた方のうち数人が奇跡的に生き残った。機体の後尾部分が爆発して損傷したジャンボ機は『操縦不能』に陥り、最後《御巣鷹山》に衝突する迄は空中を不規則に浮遊し続けた。その状態を《ダッチロール》と呼び、この言葉は航空用語だが当時の流行語になっている。

 私は当時長野県の川上村でレタス栽培のアルバイトをしていたことは以前何処かのブログに書いた。私は当時36歳で、行った先のご主人と同年だった。自分では雇って貰えるとは思っていなかったのだが『日刊アルバイトニュース』(⇦当時は『AN』ではなくこういう名前だった。)を見ていて友人が熱心に薦めるので気楽に応募してみたところ、何故か電話に出た奥さんに気に入られて一発で採用となったのである。
 いや気に入られた理由は判っている。奥さんが私の年齢と農業が未経験であることを聞いて、
「農作業は大変ですよ。出来ますか?」と確認して来たのを私は調子に乗って、
「超人的な仕事は出来ませんが人のやっている仕事なら出来ると思います」などと、ちょっとカッコイイ(格好良過ぎる?!)応答をしてしまったのである。奥さんというのも銀行員からスカウトされてずぶの素人から川上村に嫁入りして来た人だったから、この言葉が私の予想を超えて受けてしまったわけだ。

 農業は確かに過酷だった。地面が相手の作業が一日続くのだから足腰がやられる。私は途中で帰郷してしまった青年の補充要員として雇われたから、私が到着したときはレタス栽培は連日毎朝早朝から収穫する時期に入っていて、私の担当は『包丁で切る人』の後ろから付いて行き、切られて地面に置かれたままのレタスを等級別に段ボール箱に入れて行く仕事だった。これが辛いのである。膝が折れてしまうと即「膝が折れてるよ!」と叱られる。作業中はしゃがんだり座ったりしてはいけないのである。・・。

 そんなある日の夕暮れ時(6時頃)である。作業の終わった我々は小川の遙か上流の山合いに朦々と光り輝く白煙を見た。同僚の青年は「これは異常です。何か不吉なことが起きますよ!」と予言したが《不吉なこと》は起きた後だった。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-08-12 15:44 | 昔話
 私の場合アート(⇦自称)は葉書絵からスタートしている。それも大阪へ来てからのことである。それ以前にも写真はよく撮っていたが東京時代のものなどはその大方を散逸してしまった。
 趣味で収集していた絵葉書からの流れだったのだろうか、葉書大のイラストを描くようになった。自分には「絵心」があったわけでもないし、基礎的な修行を積んだわけでもないから、特に作画に執着しなければならない理由も今となっては思い浮かばない。

 今はもう通っていないが「アート喫茶」とでも呼ぶべき若い人達の溜まり場があった。そこで「50歳にしてこの画力!」などと揶揄されながら「痛快いけいけヤースケ伝」という名の「葉書絵の連鎖による物語集」を始めた。始めた経緯は忘れた。もう16年目に入るが未だ未完である。この「大河ロマン」は完成するかどうか分からないが自分から辞めるつもりはない。

 主人公はヤースケという名前の駄犬で、ペットショップで瀕死状態のところをたまたまその店前を通りかかった「英作」という名のラーメン屋の小倅に拾われる。彼は店の売上全てをパチンコでスってしまい、唯一残った1枚の500円玉でヤースケを買い取ったのである。
 英作は注射ギャグでヤースケを回復させここから物語が開始される。・・・。

 他の登場人物やらストーリーやらを新たに考案する能力(脳力)は私にはないし、でも自分では結構この童話的な物語を気に入っているのである。まあくだらないと言えばこんなクダラナイ童話もどきも珍しいかも知れないが、世の中「くだらなくはない事物」もそう多くはないようにも思われる今日この頃である。????????????????????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-07-03 16:17 | 昔話

歴史から何を学ぶか?

 かつて「背後の敵を撃て!」と言ったのはあのレーニンである。独露戦争に邁進し攻撃を仕掛けて来るドイツ軍兵士たちに対して「君たちの敵は我々ではない。背後から我々を撃てと命じている背後の指示者である」と言明し、兵士間相互の連帯を訴え懸けたのであるが、この「プロレタリア国際主義」は成功を収めたとは言い難い。歴史は寧ろ全く逆の道を歩んでしまった。「国際主義インターナショナル」を共同して実践したのは世界各国のブルジョアジーたちであり、逆に銃を向けて殺し合ったのが全世界のプロレタリアートたちだったのである。
 私は何も殊更突飛で目新しい「教訓」を訴え出ている訳ではない。歴史から何も学ばないのは我々には不幸な結果しかもたらさないのだと、当たり前の事を繰り返し表明しているだけのことだ。それでは無為に死んで行った無数の人達が浮かばれる事がない。

 アメリカ人はアメリカで闘えばいい。同様にロシア人はロシアで、中国人は中国で、韓国人は韓国で・・・といったように、日本人は単純明快に日本国内で闘えばいいのである。何も外国までえっちらほっちら出掛けて行って、見も知らない人達と「不要不急の命の遣り取り」をする必要性など何処にも存在しないだろうと言っているだけのことだ。
 それを何処かのノータリンは故意に曲解して(⇦私が日本ばかりを批判の対象に据えるものだからか?!)私があたかもあの中国をまるで平和国家であるかの如く礼讃し続けているかのようにおちょくって(?)来るのであるからおじさん馬鹿らしくてやってられない。こういう了見の狭い度し難い阿呆は何処の世界にも大勢いるものである。安倍ポンなどはそういうノータリン達に寄って集って支持されている史上最低の総理大臣なのである。??????☺??。

 ☆明け方パチンコの夢を見た。実際に打っている所ではなく最初は何処かのおっさんと、次には何処かのお姐さんと、これから打ちに行く相談をしているのである。話は弾んでいたが私は店に行く前に両替所で換金して来る必要があった。そんな夢だった。??????????????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-06-15 03:17 | 昔話
 IPもPVも殊更両手を挙げて礼讃・信奉する人はいないと思うが私の場合も同様で「どうでもいい♪」と言ってしまえばその通りなのだが、ただ他に目安となる指標が存在していないのだから、いいも悪いもなく参考にするしか方策がないのである。

 最近gooを投稿の中心に据えていることもあって、私の数あるサイトの中でもgooが最大のIPとPVを稼いでいる。何故同じ内容の記事なのにこうも集客数が違ってしまうのか私には判断出来かねる。
  ただgooが多いと言っても最大で1000PV程度、IP数も130程度の事だから処々で日々展開されている「人気サイト」とはとても比較にならない。
 IPと言うが仮に数字が100だったからといって百人の人が熱心に読んで下さったわけではなく、各社の検索エンジンがあちこち引っかき回して足早に去って行ったというだけのことかも知れないのだから、あくまで参考は参考でしかないのである。

 ☆なぜ幾つものサイトに同じ内容の記事を回して掲載するのかというと、一つ又は少数のブログではもし何かトラブルがあったとき機転を効かすことが困難になるからである。

 gooがそうだった。或る大学運動部員らに拠る集団レイプ事件を扱った記事を引用に頼って書いた際、何年も経てから(多分その大学関係者からだと思われるが)正体不明の人間から突如として私の当該記事に対して編集部にクレームがつき、それを真に受けた編集部の判断によって、私が該当記事全部を削除しない限り私のブログ全体を閉鎖するという挙に出たのである。当日の記事には「京都納涼床」に触れた部分もあったのだが、その部分も含めて削除せよというのだから、どこのお偉いさんか知らないが申立人は相当偏執狂的人物だと思われた。その記事が投稿されたという事実を抹殺しようというのだから尋常ではない。その為私は「ブログはここだけじゃないぜよ♪☺」とばかりに二年間程従わなかったのだ。が、友人が「削除してもしなくても閉鎖され続けるのだったら削除に応じた方が賢いぜ♪」と再三忠告してくれたこともあって、問題の記事は何処かにコピペして、gooブログではあっさり削除に応じたという、そんな経緯があったわけである。

 こんなこともあって私は「ブログは多い方がいい♪??????????」と思っている次第である。

 ☆$¥124.11(8:00ロイター)。

 先程買い物に出掛けた。大阪は28℃の予報だったがとても暑かったから今日も30℃は超えると思う。これでは遺憾ながら外出は諦めた方が無難だ。買い物の中身だが:

 食パン、天然水、ポテトサラダ、細切り野菜、薄揚げ、千切りキャベツ、キュウリ、バナナ、焼そば麺それとスポニチである。明日のダービーに(馬券は多分買わないが)一応参加する?予定なのだ。当てるつもりなら「日刊スポーツ」や「スポニチ」ではなく「サンスポ」の方が勝るという感じを入院中に受けた。根拠はない。サンスポ紙が強い印を付けた馬が上位に来ていたからだが、オークスで好調だったからと言って明日もいけるとは限らないのがギャンブルだ。

 買い物には金欠中にも拘わらず千円程度使ってしまったが、問題は今日炊飯するのか止めるのかがハッキリしていないことである。独り暮らしの場合「どっちでもいい」という曖昧な方針が一番いけないのだ。??????☀????。

[PR]
by musasinokosugi | 2015-05-30 11:58 | 昔話