人気ブログランキング |

時事、写真、身の回りの事、etc.


by musasinokosugi
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2012年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

死ねば死に切り。

d0136282_14203760.jpg
d0136282_14205811.jpg
d0136282_14211414.jpg
d0136282_14213056.jpg
d0136282_14222110.jpg


「死ねば死にきり」―回想、村上一郎
(「猫々だより71」掲載―『吉本隆明資料集74』所収・猫々堂08.4.25刊)

 七五年三月二十九日、自刃した村上一郎の〈死〉を、衝撃を持って知った。幾らかの通交があったとはいえ、読者の一人にすぎないわたしは、通夜にも告別式に行くことも躊躇い、時を過ごした。
 同年五月に発行された『磁場臨時増刊 村上一郎追悼特集号』に告別式での吉本隆明の「哀辞」が、掲載された。
 「村上一郎さん。こう呼びかけても、貴方は呼びかけること自体信じていないだろう。死ねば死にきりである。」
 この「哀辞」を読んで、深く心に染み入ってきたことを今でも忘れない。「死ねば死にきり」という言葉が、村上一郎の自死に至る想起の有様を真っ芯で掴んでいると思えたし、同時に、誰にでもいずれ訪れる〈死〉というものの深層を言い切っていると感じたからだ。
 吉本は、この後しばしば、高村光太郎の詩からとして、「死ねば死にきり、自然は水際立っている」と引いている。「自然は水際立っている」、なんとも、鮮烈ないい方ではないか。気になって光太郎の詩を調べてみると、「夏書十題」のなかのひとつ、「死ねば」という表題が付された、亡くなった母を追慕した短詩(原詩は、二行立てで「死ねば死にきり。/自然は水際立つてゐる。」)だった。
 村上一郎との僅かな通交のなかで、わたしは、何度、吉本隆明への共感の言葉を聞いたか、分からない。その頃、『試行』と『無名鬼』の分岐の経緯について考えを巡らす余裕がなかったから、不思議な感慨を持ったように思う。
 村上一郎と初めて会ったのは、後に評論集『浪曼者の魂魄』を編集担当することになる、知り合いの編集者夫妻と連れ立って、武蔵野市吉祥寺北町の自宅を訪問した時だ。六九年の四月か五月頃だったように思う。何時間か歓談した後、四人で井の頭公園へと散策に出かけた。わたしが井の頭公園に不馴れだったのを気遣い、沿革や様々のことを懇切に話してくれた。池の中で群れる大きな鯉たちを指差して、“あそこで泳いでいるのは吉本鯉だな。こちらの大きいのは埴谷鯉に違いない”と真顔で語る村上一郎に、思わず感嘆してしまったことを鮮明に覚えている。
 わたしが、村上一郎という名を桶谷秀昭とともに、刻印したのは、たぶん、高橋和巳を評価していたからだと思う。江藤淳が、小説としての魅力の乏しさ挙げ、徹底的に批判していたのとは、対照的に、ふたりは、その物語の基層にあるモチーフを最大限掘り起こして、共感を表明していたことに強い印象を持ったのだ。共同性の問題といえばいいだろうか、いわゆる「社稷」という農本的共同体の基層を包含する概念をある種の理想的な関係性として捉えるということであり、権藤成卿という思想家へと敷衍されて、わたしを様々に喚起したといっていい。村上一郎との直接的会話の中で、よくネーションとステートは違う、肝心なのはネーションの方だと述べていた。たぶん、「社稷」をネーションに重ねあわせて考えていたものと思われる。近年のポストモダン的思考では、しばしば「ネーション=ステート」として括り、「国民国家」といういい方がなされているが、わたしには、ご都合主義的な短絡的な捉え方に思えてならない。
 権藤成卿を引例しながら、「社会的国家」と「政治的国家」というように分岐し解析してみせた吉本の「自立の思想的拠点」(65年3月)をわたしが知ったのは、単行本化(66年10月)された数年の後(村上一郎との通交前後)のことになる。
 入学した大学の学生新聞に所属したことで、村上一郎との短いながらも濃密な時間を持ったことになる。文芸欄の紙面担当だった先輩が、家業を継ぐために中退して、入学まもないわたしが担当することになった。三回連載となった「私にとって明治批評精神とは何か?」の原稿受け取りのために何度か続けて会うことになる。大学は、バリケードストライキ中であり、そのなかを、わざわざ原稿を届けてくれたこともあった。また、わたしが不在だった時、校正間違いの多さに、もの凄い怒りをもって新聞学会室へ直接電話をかけてきたことがあった。帰室して直ぐに、お詫びの電話を入れたのだが、拍子抜けするぐらいやさしい言葉で、校正の大事さを話してくれたのだ。
 村上一郎が、年来の病気(躁鬱病)に悩まされていたことは、知人の編集者に聞いて知ってはいたが、少なくとも、わたしの眼前では、屹立した佇まいのなかにあっても、不思議な気遣いと“やさしさ”を、変わらず漂わせていた。四十九歳(と記して、愕然とする。どう見ても老成した風貌であった)と十九歳の通交が、村上一郎をしてそう振る舞わせたのかもしれない。編集者とはなにか、書くということはどういうことなのかということを、真摯に若年のわたしに語りかけてくれたものだ。わたしにとっては、著作からだけでは窺い知れない、多くのものを村上一郎からその時、直接受け取ったと思っている。
 いま、わたしは、村上一郎の自死の年齢(五十四歳)を既に何歳も越えてしまった。

 「精神とは何であるか、仮にこれを思想と呼んでもよい。それは長い歩みと、曲折と、時に飛躍とをともなって成り、また成らんとする。が、人類が類として生き得る日まで成らんとして成らない。」
 「変革は、(略)ひとのあこがれ、身をこがし想うものでなくてはならぬ。それを美しかれと念じ、おのれをそこへ向って燃焼せしめるものでなければならぬ。」(「明治維新の精神過程」)

 九年前の三月に友人の奥さんが亡くなり、東京・小平霊園に眠っている。以来、毎年、春の彼岸の折りに、同じ霊園にある、“風”の一字が刻まれている村上一郎の墓へと共に訪れている。                          (文中、敬称略)
以上『フーコの日日雑記』より。

============

 私はこの言葉は吉本から知った。晩年の彼はしばしば引用していた。これとは別に「人生死ぬまでの暇潰し」という言葉もあった。何人も人を殺した凶悪犯であろうと、死んでしまえばもはや誰も彼を裁けないのだろうか。

============

 私が日々相手をしている鳥たちは毎日懸命に、そして健気に生きている。しかも彼らはちょっとした油断や天候不順が自らの生命の危機に直結してしまうのである。
 私を含めて、皆さんはやれ音楽だ、踊りだ、ゲームだ、アニメだ、映画だ、世界の動きだ・・・とお忙しいようだが、それらは皆他者から与えられたものである。謂わば、それらを一生懸命に消費して忙しがっているだけの話である。私は最近人々のそういった営みにはあまり触手が動かなくなってしまった。むしろ、ああだこうだと日々他人様のお相手をすることには辟易していると言っていいくらいだ。

 マーク・トゥエインの小説に、人間嫌いに陥った或る男が巷間から離れて山中で一人暮らしを始めたのはいいが、そこもいつしか人が寄り集うようになり、気が付いたときにはそこは立派な町になっていたいう寓話があったが、私も同じで(?)言葉の通じない鳥の相手をしているだけの生活の筈が、気が付くといろいろな知り合いが出来てしまっている。人はなかなか人間社会から逃れ出ることなどは出来ないのである。あっそ。

============

*今回の選挙、59%の投票率というのは戦後最低なのだそうである。その中で自民の得票率が30%というから、全有権者の18%の支持があれば完璧に国会を牛耳ることが可能になるという理屈である。三権分立というが、議院内閣制という制度は立法府の権限が最優先され、国会が行政府の長を任命し、その行政府の長(内閣総理大臣)が司法の長を任命する。権力の行使もこの順番通りで、司法には本来「違憲立法審査権」という強力な権限が与えられている筈だが、そんなものは単なるお題目に過ぎず、最初から腰の引けた最高裁判所は行使した試しがない。

*野田という「事件」にはいろいろな憶測が流れた。

①野田は財務大臣のとき財務省に洗脳され省のスパイになった。野田の目的は民主党の破壊と解体である。
②自分の選挙区の反応がいいため本当に選挙で勝てると錯覚した。
③野田には自派閥はない。霞ヶ関に籠絡された仙谷が前原・岡田らに根回しして野田を立てた。岡田や前原の口煩い連中では協力出来ないと役人どもは脅した。
④結果民主党は霞ヶ関の言いなりになり、使い捨てにされた。彼らには自民党政権の方が断然好ましいのである。

*新潟の角栄王国が崩壊し、小沢の牙城=岩手県も壊された。小沢の「最後の御奉公」を妨害したのは大メディアとそれに唯々諾々と操られた野田一派である。

*共産党は「90年の歴史」を誇り社民は「元祖反原発」を誇示した。両党とも完全に時代感覚がずれている。90年の歴史のなかで一度も政権に参画したことがないことを誇るアホと、原発を阻止したことがないことを誇るアホだ。本来恥ずべき歴史を自慢しているのだから議席減も当然だろう。

*みんなも維新も「100議席獲得」を目指したが、錯乱状態の野田の不意打ちによって目論見は敗れた。野田一派は今回の自公政権樹立に大きく貢献している。まあ、来夏の参院選があるさ。w


by musasinokosugi | 2012-12-17 16:40

餌蒔き継続中♪

 この五月下旬から突然始まった私の餌蒔きであるが、健康状態とも相談しつつ疑問も感じながらもなんとか続行している。尤も夏場とは違って頻度と時間は大きく減少した。始めた頃は一日3時間くらいは平気で蒔いていたが、今は公園内と寝屋川畔を合わせても一時間程度である。蒔くものは食パンと「米+小鳥の餌」のブレンドが主体で、ときに蒸しパン、シフォンケーキなども使う。食パンは主に一斤68円の「業務スーパー」のものを使い、米は「くず米」「割れ米」と言われる飼料用のものがメインだ。これは精米をしている米屋さんなら常に排出されるものだが人間の食用にまわされることはない。業者さんがまとめて買い取って、家畜・家禽類の飼料としているものを分けて貰うのである。これらは人間が食べて食べられないものではないが、今の日本人は口が驕っているから、やれ「こんなものを混ぜるとご飯がお団子状態になってしまう」などと言って食べないのである。米もそうだが、世界の穀物生産の80%は我々を含む少数の先進諸国で消費してしまうのである。といって、我々が直接これを食べるわけではなく、家畜・家禽に食べさせて飼育し肥えさせたものを我々先進諸国民が殺して食べるのである。

d0136282_15491472.jpg
d0136282_15493264.jpg
d0136282_15495877.jpg
d0136282_15504883.jpg
d0136282_15512014.jpg
d0136282_15521787.jpg
d0136282_15524543.jpg
d0136282_1553177.jpg
d0136282_1554634.jpg
d0136282_15553518.jpg
                                               

by musasinokosugi | 2012-12-14 15:37

情勢ってか。

 前回は嘉田新党立ち上げの寸前に投稿したが、今日はセンキョの5日前である。状況は少し変わった。今朝のTBS系ニュースでは土日の世論調査の結果として、自民圧勝、自公合わせて320、民主は70、維新が45で未来は11ということだった。元々は「小選挙区制」というのは二大政党有利に働くものであるから、民主がこければ今度は自公の番となる。従って、民主の大敗北を除けば今回少数政党が伸び悩むのは当然と言えば当然である。

 それで、現実にこの調査結果と大差ない選挙結果が招来するものと仮定すれば、民主幹部らは最早自公に混ぜて貰えなくなったと見るべきだろう。維新石原は「改憲」を餌に露骨に自公へと擦り寄っている。「改憲大連合」が有り得るとすれば、自公維+みんな+その他となるだろう。
 
 いずれにせよ、このセンキョで何かが変わり得るものとすれば、この「改憲」の動き以外にはないだろうと思われる。「改憲」されたからと言って、私などはもう兵隊に取られる歳ではないし、もとより余命幾許もないのだから、若い人たちが好きにやったらいいだろうと思っている。この国にはもはや明るい材料は何一つない。「暴走老人」=石原にここは一つ騙されてみようか、という人は付いて行ったらいいし、「選挙なんか行くだけ無駄だからパスする」という人は恥ずることなく棄権したらいい。
 先日他界した吉本隆明は常々「政治より生活の幅の方が広い」と言っていた。政党・政派に引き回されるくらいなら昼寝していた方がいいと言うのだ。
 埴谷さんは生前「選挙に投票することは四年に一回の白紙委任状だ」と言って棄権を貫いた。今回の民主党政権が良い例だ。選挙で「信任」を与えてしまったら、後は任期の期間中何をされようと文句は言えないのである。
 私は埴谷雄高信者だったから、大阪に来る前は一度だけ美濃部さんの都知事選に行っただけだ。大阪に来てからは何の因果か投票に行くようになったが、選挙が「年寄たちのお祭り」だという事実は認めるものの、それ以上の意義はあまり感じていないのである。今回は20代30代の若い人たちがどれだけ投票所に足を運ぶか興味深いものがあるけれど、まあ50%もあれば上々だろう。w

============

↓ 寝屋川畔の雀たち。大阪城公園から行くとOBPの向こう側になる。この時点では10羽ほどしかいなかったが、少し移動したら20羽以上になった。大阪城公園ではカラスたちは米・雑穀類は啄ばむことはないが、ここのカラスたちは私がいなくなると雀らを排除して米類も食べる。
d0136282_14301174.jpg
d0136282_14303952.jpg
d0136282_1431515.jpg


↓ 冬になると大阪城の堀や寝屋川にやって来るユリカモメであるが、私が雀たちに餌蒔きをする「おもいでの森」は外堀のすぐ横にあるため、そこにまで飛来するようになった。彼らはカラスよりも一回り大きいので何も恐れることがない。私が堀のマガモたちに餌を投げてもみんな空中から横取りしてしまう。彼らはみな空中キャッチが得意なのである。ギャアギャア五月蝿い上大食漢なのでちょっと厄介な連中だ。この写真には数羽しか映っていないが、今日は大挙してやって来た。米類は食べなかった。水鳥たちにはパンやお麩がいいらしい。レタス・キャベツを刻んで与えている人もテレビで見た。
d0136282_1431303.jpg
d0136282_1431502.jpg
d0136282_14321747.jpg


↓ 足環ちゃんとカラスである。足環ちゃんは今日は一番に来た。彼(女)は気まぐれで我儘だ。他の鳩たちが必死で食らいつく「パンの耳」などには見向きもしない。白い部分にしても、食べ易いように丸めてやらないと他へ譲るのだ。米・雑穀類もちょっと食べてはみるが、寄って来た他の鳩たちに揉みくしゃにされるとすぐ逃げるように石段から降りてしまうのである。
d0136282_14324468.jpg
d0136282_1433276.jpg
d0136282_14332193.jpg
d0136282_14334335.jpg
d0136282_1434510.jpg


============

  ≪のようなもの≫

 私はSFは読まない人間であるが、昔或るSF好きの友人が「埴谷雄高の『死霊』はSFだ」と言ったことがある。それで今還暦を過ぎて思うことは、私も最近「SFのようなこと」を想像することがある、ということである。
 例えば『ノアの方舟』である。我々の太陽は50億年後には爆発~消滅する。我々の子孫がもしそれまで生きながらえていたとしたら、どうしたって滅びる前の地球を脱出していなければならない。
 そこで『テラへ』ではなく『テラから』であるが、どう頑張っても(とてもじゃないけど!)この地上の全生命を方舟に載せていくことなど出来はしないのである。つまりは(普通に考えれば)方舟には選抜隊(選民?)しか乗せて行けない。連れて行くのは恣意の「選民」だけか?

 私が今想うのは、やはり「全生命」を連れて行く方策があるのだ。原子・分子と言わず「素粒子」と各生命の「DNAの設計図」。この二つがあれば方舟の中で我らが子孫は自在に「全生命」を復活~再生出来るのである。但し、である。我々人類の歴史はまだせいぜいのところ数百万年しかないのだから、これがあと数十億年も歴史を刻める保障などどこにもない。あちゃ。
 年寄のたわごと・妄想である。w


by musasinokosugi | 2012-12-12 15:59