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by musasinokosugi
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<   2013年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

①当時の未決収容事情への補遺になるが、拘置所も刑務所も法務省矯正局の管轄下にある。そしてそこは人間を駄目にする機関だと言える。

 明治以来の≪軍隊式≫≪唯我独尊≫の強圧的教育法では到底、囚人たちを「教化」も「感化」も出来ないのである。

②受刑者の≪再犯率≫は先進諸国では概ね高いとされているが、日本も例外ではなく高い。
 刑務所の受容能力を超えて各地の刑務所では受刑者が今も増え続ける一方だが、その第一の元凶は矯正局の明治以来の一貫した方針である。この、何も考えていない驕り昂ぶるだけの方針では、受刑者は「矯正」されるどころかますます狡賢くなって、「シャバで食って行けないのならまたムショへ舞い戻ればいいサ♪」ぐらいの抜き難い心得を植え付けられるだけなのである。

③各警察署内の留置所(代用監獄とも言う)では担当の警察官は留置人からは≪担当さん≫と呼ぶ決まりになっているが、これが拘置所・刑務所になると≪先生≫と呼べと言われるというのだ。何も教えていない癖に≪先生≫とは如何にも上から目線の偉そうで傲慢な態度である。

④刑務所が厳しいと言って、それは刑務官に対して反抗的な態度をとった囚人に対してだけ厳しいのであって、刑務所内での≪処世術≫を覚えた囚人は、何を言われても「はい。」(←「はいはい」はいけない。)と言っていればそのうち仮釈放が来ると悟る。ゴマスリで要領の良い囚人が何よりも厚遇される一種歪な≪閉鎖社会≫なのである。

⑤卑屈な精神のみを植え付けられてシャバに出たのはいいが、極道の組織員でもない限り受け入れ先は極端に少ない。仕事が無ければ早晩食うに困る。食べられなければ生きて行けない。

 そこで「じゃあしゃあない、ムショに戻ろうか」ということになる。再犯率はこうして高くなる。
 矯正局には「自立出来るまともな人間を育てよう」などという指針は微塵もないのだ。

⑥東拘(東京拘置所)は今は小菅にあるが昔は池袋にあった。A級戦犯らを収容した≪巣鴨プリズン≫である。今その跡地は「池袋サンシャインシティ」になっている。東拘でも中野刑務所でも、学生たちが入れられたのは広さ3畳ほどの独居房である。

 中の様子はどうなっているのかというと、妹尾河童のイラスト集に「網走刑務所の独房」があるが、あれと大差ないということである。庭に面して高く長い窓が一つ、通路側には外から施錠されるドア(下部には食器等を出し入れする開閉孔付)、窓のそばには洗面所(蓋をすれば机)と便座(蓋をすれば椅子)があり、部屋の中央には畳1枚・・・といったふうである。時間限定で音楽やらラジオ放送やらが流れるがそれは切ることも出来るようである。

⑦起訴された学生らはそんな部屋で、≪保釈申請≫が通るまでは半年でも一年でも≪未決≫のまま過ごさなければならない。≪実刑の先取り≫である。後になって≪執行猶予≫の判決が出されても拘置期間が補償されるわけではない。

 独房生活に病んで≪拘禁性ノイローゼ≫という一種の精神病に罹る人間も出た。
 彼らは未決囚であるから法的には本来「無罪」の扱いの筈だが、収容者側は端から犯罪者扱いしていた。
 私信に「創作」と書いただけても受け付けない。所内での待遇について法廷で意見を述べただけでも、房に帰ればいきなり「転房!」を命じられる。これは何の意味か、当人も最初は意味が分からなかったそうだ。

 「転房!」とは即ち「懲罰房行き!」ということだった。
 何か悪いことでもしたのかと言えば、所内の様子を裁判所で漏らしてはならないと言うのだ。裁判中の発言を付き添いの刑務官が拘置所の所長に密告したのである。
 これではまるで今の「国家機密保護法案」みたいな話である。笑。
 ≪懲罰房≫と言っても、それは3畳の部屋が2畳になるだけだったと友人は言っていた。w

⑧「国家機密保護法案」の話が出たので最後に一言言い添えておくと、「解釈改憲」・「(法の)解釈運用」は間違いなく違憲であるということだ。70年当時の「治安裁判所」が≪三泊四日≫を突如として23日に変え、更には未決拘留を際限なく勝手に拡大したのも、解釈運用であり違憲だったということだ。

 ≪三泊四日≫というのは逮捕した警察側の正当なる持ち時間のことで、警察は48時間、検察は24時間の持ち時間があり、この間に証拠を固めて処分を決めなければならないというのが法の趣旨である。


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by musasinokosugi | 2013-11-15 14:46 | 時事

戦後は終わった。

①今大阪府の予算の都合が付いて内部公開が決定された「太陽の塔」は、1970年「大阪万博」の象徴として故・岡本太郎がデザインしたものであるが、万博自体は「1970年反安保闘争」へのアンチとして、少しでも闘争の盛り上がりを抑え込もうとした国が企画・立案したものである。「70年は東京の国会周辺ではなく、大阪の万博へお出掛け下さいよ♪ 政治の季節はお仕舞いにして、お祭りをしましょう」というわけである。

 その甲斐あってか私の親兄弟なども車を駆って東京から大阪へとすっ飛んで行った。

②その当時だったろうか、正確な年時ははっきりしないが政府は「戦後は終わった」というキャッチコピーをしきりに流布したことがある。もう≪戦後復興≫は終わったから、今後は更なる躍進を遂げるべき時代の開幕だと言うのである。

 このコピーを逆手にとって(ベ平連系だったか)「戦後は終わった、戦前が始まった」と切り返したコピーが流され、我々「一部の左翼がかった連中」(?)の間では結構受けていた。新左翼の運動が衰退し、大学のバリケードが解かれ、学生たちが黙って通学し授業を受ける静かな風景の先に待っていたものは、

モノ言えば唇寒い

・・・時代の到来である。

 ここでさて、新左翼系学生運動の衰退から終焉に関連して、当時の政府権力の側からの「弾圧強化」について少し触れておくと、1965年日韓闘争から始まって糸井重里が東京から参加した1967年の米空母エンタープライズ佐世保入港阻止運動に至る頃までは、学生運動家らが逮捕されてもいわゆる「三泊四日」で釈放(パイ)されることが殆どで、罪名も「道路交通法違反」(デモをしたから)や「公務執行妨害」(機動隊に逆らったから)といった程度の微罪(?)が殆ど大半を占めていた。

 新左翼に対して「暴力学生」という言葉が使われるようになったのはいつ頃からだったろうか、これは弾圧が強まるに連れて「過激派」という言葉に取って代わられたわけであるが、この過激派という言葉は元々はロシア革命時のレーニン率いるボルシェヴィキに冠せられた名前なのである。

 転機は当時の赤沢国家公安委員長に拠る最高裁判所への要請から訪れたと言って良い。
 彼は「我々治安当局が一生懸命暴力学生らを捕えても、裁判所が次々釈放してしまうから運動はいつまで経っても沈静化しない。裁判所はもっと我々に協力すべきである」と言ったのである。

 この治安当局からの要望は即刻受理され、以後裁判所は逮捕した学生らの拘留を次々限度の「23日間」まで認めるようになった。最高裁所長代行だったか、当時「横川の横車」というフレーズが一種流行語になった。彼は「ハイ・ガヴァメントの見地から治安当局に協力する」と言ったのである。
  
 「治安裁判所」の誕生である。
 10日+10日の拘留延長には、1.住所不定 2.逃亡の怖れ 3.証拠隠滅の怖れ の3要件の成立が必須とされていたから、これを学生ら全てに例外なく適用するのは相当な無理があったが、裁判所は法を曲げてこれを強行したのである。

 付けられる罪名にも「凶器準備集合罪」や「威力業務妨害罪」などが加わった。このうち「凶器準備集合」の罪は、立法時には「ヤクザ同士の出入り予防のためにしか使わない」という触れ込みだったが、実際に使われたのは学生運動専門だった。
 学生らは「凶器を準備して集合し」或いは「凶器の準備あるを知って集合し」たとされたのであるが、私が当時親しかった友人に聴いたところによれば、「そんなことはどちらもあり得ない。角材とかの有り場所を事前に知っていたのは極一部のリーダーたちだけであって、我々一般のデモ参加者は前の隊列にくっ付いて行っただけだ」とのことだった。
 威力業務妨害の罪というのは「平たく言えば、前列に従って線路の上を歩いただけ」とのことである。w

 拘留から≪起訴≫に至ると、1年や2年の≪独房暮らし≫は常態化し、どこの刑務所も学生らで満杯になった。(←尤もこれは後で述べるが「統一組」に限った話である。)
 
 ≪裁判≫にかけられてどういう対応を取るのかが一種「踏絵」となり、反省の意思を示す者は「分離組」と呼ばれて裁判は一日で終わって即執行猶予で釈放された。

 逆に反省するどころか「統一公判」を要求して裁判所相手にも断固争う姿勢を示した者らは「統一組」と呼ばれて、判決を待たずに実質上の≪実刑≫を課せられたわけである。私も東京拘置所とか中野刑務所へ何回も面会~差し入れに行ったものである。あっそ。w

③大正時代共産党対策として施行された「治安維持法」はやがて全ての国民の耳目と口を塞ぐ弾圧法として甚大なる威力を誇ってこの国を≪大東亜戦争≫へと否応なしに引き摺り込んで行く原動力となった。

「5・15事件」で一網打尽にされた共産党関係者の一人であった埴谷雄高は投獄された後「転向声明」を発して保釈されたが、ここに「転向」とは何も「国体たる天皇制が永続する」などと言明する必要はなく、「地球だっていつかは滅亡するのだから、天皇制もいつかは無くなるがしばらくは続くだろう」と認める程度で許されたというのである。

④戦前・戦中を通して非合法だった共産党は戦後自分たちを合法化したマッカーサー占領軍を「解放軍」として嬉々として迎え、やったことは「血のメーデー事件」などで火炎瓶闘争を繰り返したものである。

 火炎ビン闘争は「徳田球一(徳球)」等一部指導部の過ちだったなどと共産党は総括しているが、馬鹿を言ってはいけない。指導部などというものはいつだってどの政党だって「一部」に決まっている。民主党・野田一派も自民党・安倍執行部も「一部」なのである。


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by musasinokosugi | 2013-11-14 11:52 | 時事
①「治安維持法の再来」という言葉を使いたいと思っていたら、今朝のテレ朝系の番組で、明日の予告として使われてしまった。言うまでもなく、今衆院を通過されようとしている特定(国家)機密保護法案のことである。

 この法案は何の道理も必然性も緊急性も全くない、単なるアッパラパーな思いつきの悪法である。安倍ポン自身はあまり頭の良くない家系(A級戦犯岸の孫)であり、当人ちやほやされてすっかりその気になっているが、今回は昨年末の総選挙で民主党の手厚いアシスト=「大政奉還」を受け、自分でも驚く程の高支持率を得て現在国民の60%が支持しているという呆れ果てた事態なのである。

②歴史学者、故・羽仁 五郎が指摘していたのは(破防法、騒乱罪等に関連してだが)「悪法はテストしてみればいい」ということだった。「伝家の宝刀」などと言うのなら「やれるもんならやってみろ!」と応じるのが我々歴史に物申す者たちの取るべき全うなあるべき姿だというのである。

 一旦成立した≪悪法≫はときの政府や官僚らの思惑を遥かに超えて一人歩きする。仕事が無くて困っていた公安調査庁などが意味もなくちょこまかいじっているうちに、この法は気づいたときには手の付けられない弾圧法に変身するだろう。

③安倍ポンは弱者・老人・福島の被災者ら全てを切り捨て、増税のみに走って財界の豚共に媚を売っている。
 福島原発ではメルトダウンした1号機2号機3号機の炉心がまだ剥き出しで燃え盛っていて手出し出来ない状況にあるにも拘らず、対外的には「アンダー・コントロール」だととんでもない放言をした。
 50年も百年もかかってもまだ廃炉出来ない福島原発を抱えながらまだ原発再開だと吹きまくる安倍だ。
 核のゴミ捨て場はこれから研究すると言うのだ。
「金をくれるならうちに持って来てもいい」などと言う自治体はまだ一つもない。

・・・こういう馬鹿丸出しの首相を国民の60%が支持しているというのだから、この国は早「滅亡に向けて一目散に駆け出している!」と思った方がいい。

④そこでさて、今突如として(かどうか?)脚光を浴び始めた小泉元首相の発言である。

 最近彼の発言は現政権に対していよいよ「凄み」を増して来たため、安倍ポン・石破を始めとした自民党執行部の連中は、どこで何を言ったら円満なる終息を図ることが可能なのか、名案も浮かばず、ひたすら慌てふためいている。
 昨日の発言など(安倍の稀有なる幸運さを持ち上げる裏では)「≪即廃止・原発ゼロ≫を謳わないのならオラどうなっても知らねえぞ!」とでも言いたげな挑発的なものであった。

Ⅰ.元々の小泉・父の心境は、原発はともかく、自分の目が黒いうちに「息子・新次郎の政権樹立に目鼻を付けたい」というものだったろうと私は勝手に推測している。云わば秀頼の今後を案じる秀吉の心境だったのではないか。
 自分の威勢が衰えた後では息子の待遇・消長に不安が残ったのである。
 そこへ持って来て、現政権側は自身の発言に対して「引退した仁が何を今更」などと余りにも冷淡かつ軽んじる対応に終始した。これが小泉・父を激怒させた。

「舐めるなよ! お前らは≪安倍の師≫たるこの俺をコケにするつもりか!」というわけである。

 人間何が腹が立つと言って、自分が不当にも安っぽく扱われることには我慢出来ないものなのである。私は小泉・父の徒弟ではないが、自民党の対応は確かに礼を失していたと思う。安倍は自分に都合の悪いことにはダンマリを決め込む意地汚い性格だ。

Ⅱ.自民党の態勢は原発推進と反原発が半々だと小泉・父は言う。五分五分だと言うのはその通りかも知れない。
 というか、彼らは基本的に日和見主義者の集団であるから、旗色鮮明にすることなど及びもつかず、形勢有利な方へ何時でも舵を切れるスタンスを取り続けるのである。

 我が世を謳歌する≪安倍ポンの天下≫も、一度采配を誤ればいつでも転覆され得るのだ。安倍の長期政権が実現すれば自分の出番は無くなってしまうかも知れない石破だって、いつ安倍を裏切るか知れたものではない。それに比べれば、石原・息子や小泉・息子など一回り若い世代はずっとフリーハンドを保ち得る。新次郎は「父親が元気なのは嬉しいことだ」とまで言ったではないか。w


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by musasinokosugi | 2013-11-13 11:09 | 時事